ほぼ初めての俵万智の衝撃。『未来のサイズ』を読んで。

俵万智さんの名前はもちろん知ってる。サラダ記念日、その他ふたつかみっつの有名な短歌も知ってる。だけど歌集としてちゃんと読んだことはない、という距離だった。私自身、あまり短歌とか詩とかがわからなくて、でもわからないなりに気になりつつあったそんな折、改めて俵万智の名前が自分の世界に入ってきたのはTwitterだった。放送中の朝ドラ『舞い上がれ!』のヒロインの幼馴染の男の子が(珍しくも)歌人になるという設定で、この朝ドラを見ているらしい俵さんの呟きやこのドラマについて詠んだ短歌などがよくRTなどで流れてくるようになった。時をおかずしてNHKのプロフェッショナルという番組で俵万智さんの回が放送されて、ますます気になったところであれこれ検索し、『短歌研究』という雑誌の特集「俵万智の全歌集を『徹底的に読む』」(渡辺祐真)を見つけて読み、ついにはこの最新歌集『未来のサイズ』を買って読んだ。

衝撃でした。

 

制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている

この最新歌集は2020年出版。2011年から石垣島へ移住し、2016年に息子さんの進学に合わせて熊本に移住し、そして迎えた2020年のコロナ禍までの日々がベースにある。

本のタイトルにもなったこの短歌はお子さんの中学入学準備の日々を写す。
どんな人でも想像しうる、シンプルだけどすごくいい歌だなと思う。

私自身、子供の中学の制服のサイズ合わせに行ったばかりだったので、とても共感できた。中学三年間は伸びると一般的にそう言われているけど、どのくらい大きくなるかなんてわかるはずもなく、制服を売る洋品店のおじいさんの見立てのままにぶかぶかの制服を注文した。それは確かに「未来のサイズ」。

「未来のサイズ」という言葉の的確さに唸り、まだぶかぶかで似合わない制服を着て落ち着かなさげな子供たちのいる入学式の風景が浮かび、「未来着ている」という素敵な言葉にグッとくる、そんな特別な歌。

 

だけど同じ歌集の別のページにある短歌を読んだとき、「未来のサイズ」を読んだときの多幸感が真っ黒に塗りつぶされた気がした。

 

あの世には持っていけない金のため未来を汚す未来を殺す

本歌は2014年に韓国で起きたセウォル号の沈没事故について詠まれた短歌の中の一首だ。常にユーモアやときめきのある俵さんの歌の中で、このセウォル号について詠まれた短歌たちは明らかに異色だった。言葉から滲み出る圧倒的な、怒り。

「未来」という共通ワードで「未来のサイズ」と私の頭の中で結びついたとき、あぁと深いため息が出て悲しくて悲しくてしょうがなくなった。

韓国も制服のある国だから、セウォル号に乗ってた高校生たちも制服を着ていただろう。身体より少し大きな制服を着て保護者と入学式に出ただろう。事故に遭ったときは2年生だったそうだから制服はそろそろぴったりだったかもしれない。翌年には制服は人によってはもう小さくなってしまって、早く脱ぎたいと思いながら受験勉強で多忙を極めただろう。制服を着る最後の日、卒業式を待ちわびながら。

少し大きいけどこれでいいね、と制服を買った保護者たちは、卒業を待たずに子供と別れる日が来るなんて思いもしてなかっただろう。

そんなことを想像したら泣けてしょうがなかった。

 

 

もちろんそういう思いをするばかりではなくて。

四年ぶりに活躍したるタコ焼き器ステイホームをくるっと丸め

あの休校期間の、家にいるしかない子供の生活をどう彩るかあれこれ考えたり、それに疲れたりした日々が突然思い出されたり、

ひとことで私を夏に変えるひと白のブラウスほめられている

あぁ、やっぱり恋の歌、お得意ですね!!!と感嘆したり、

生き生きと息子は短歌詠んでおりたとえおかんが俵万智でも

吹き出したり。

誰かを思って泣いたり、ただ何も考えずに笑ったり、忘れてたはずなのに不意に記憶の蓋がこじ開けられて驚いたりした。こんなに心揺さぶられるなんて思わなかった。もっとあれこれ言及したい短歌がたくさんある。のでよかったら誰か読んでみてください。この歌いいよね、この歌すごいよね、って話をしたいです。

ほぼ初めての俵万智、衝撃でした。