『私の女性詩人ノート』読書ノート
『私の女性詩人ノート』は詩人・たかとう匡子さんによる近現代の女性詩人論であり、現在三冊出ている。感想をまとめておきたい。
ちなみにわたしは詩を読むのが苦手で、この本で取り上げられている詩人の方々もあまり知らない。でもこの本作のように誌の解説や背景の説明があるとずいぶん読みやすい。詩を読む勉強にもなったと思う。
とりあえず今年は二冊しか読めなかったけど来年『Ⅲ』も読みたいと思ってる。
「はじめに」で著者が本作を書くに至った動機として、村野四郎氏の「(女性詩には)戦争をきっかけにした時代的葛藤の痕跡が見られない」という文章が引用され、そんなわけあるかいという反論と、なぜ女性の時代的葛藤が男性のそれと違うのか、ということが書かれていてすごく納得できる。
男性のみが徴兵される社会システムのなかでは男性にとっての戦争と女性にとっての戦争はどうしても異なるし、家庭内では責務の大きい女性の方が戦中戦後の貧しさの中で生活に縛られていた。また長らく続く男性中心社会の中で評者も男性なら女性の詩が正しく評価されてこなかったことは想像に難くない。今にいたっても小説に比べると詩の賞は男性評者の割合が大きいみたいだし。
「女性詩」を改めて評価するってすごく意味のあることだと思います!
【与謝野晶子】
トップバッターはやはり与謝野晶子。 1911年「青鞜」創刊号に「そぞろごと」という詩を寄せている。
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。
これを受けての平塚らうてうの
原始、女性は太陽であった
であったことを知ると感慨深い。
その二連目、
一人称にてのみ物書かばや、
我は淋しき片隅の女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや、
我は、我は。
ほぼ同じ時代を生きた女の労働者が一人称で語るまでそれから半世紀経っていたという話を読んだばかり(『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』湯澤規子)。歴史は上澄ばかり見ていてはいけないなと思う。
晶子は18年間で13人の子を産んでいる。しかもお産は重いタイプだったそう。死産の子もあった。20年くらいずっと体調最悪だったはずなのにその間も「明星」の資金繰りに心すり減らし山ほど原稿を書いている。この人じゃなかったらもっと早く死んでるよ!?というハードモードな人生。
引用されている詩を読むとかなりフェミニズムだし社会派だなと思う。恋愛スキャンダルとベストセラーで知名度はあれど家計は火の車で多産。嘘のない苦しみの感情ゆえに出てきた言葉が社会の矛盾を露わにし、そこにさらに読み手をハッとさせるような言語感覚があるのがすごいと改めて思った。
【左川ちか】
北海道出身。24歳で亡くなるまでに約80篇の詩を残した、モダニズム詩の先駆者。
ジョイスの翻訳から入ったというのが大きいんだろうか。言葉の組み立て方がすごく独特。というか二十歳になるかならないかの頃にジョイスの翻訳に挑戦するだけの力があるというのがまずすごい。
最初に発表された詩「昆虫」より
夜は、盗まれた表情を自由に廻転さす痣のある女を有頂天にする。
格好の良い文章だと思う。
まだ全部読んでないけど岩波文庫の『左川ちか詩集』あとがきで紹介されている中保佐和子氏による指摘、 〈左川は絵を描くように詩を書いた、キュビズムのように、見える対象を解体し再構築している〉 が個人的にしっくり来る。古びないのもそれゆえかな、と思う。
師匠である藤整の『海の捨児』と左川の『海の拾子』。 わたしみたいな素人が読んでも明らかにわかる、教える-教えられるの関係性をひっくり返してしまったその瞬間、あまりにドラマチック…! 長生きしてほしかった、もっと詩を書いてほしかった人。
【江間章子】
YMCA英語専門学校に学び、外務省の外郭団体である国際問題研究所に就職したそうで当時にしてはかなりのキャリアウーマン。 左川ちかと大の仲良しだったそうで江間もまたモダニズムに傾倒。西洋文化が最先端のモダンガールの文脈で江間を見る著者の視点も面白い。
江間の詩はファンタジックで楽しい。左川の詩には死の気配が、江間の詩には人生の彩りが満ちている。大親友の早すぎる死が刹那な生の輝きに意識を向かせたのかもしれないな…なんてことを思う。
戦後は歌曲の作詞家としてたくさんの名曲を生んだそう。
【藤田文江】
1908年生まれ。
封建的な鹿児島で父親に隠れて詩を書き続け中央詩壇からも注目されたが、左川と同じく24歳で夭折。師と仰ぐ年上の男性詩人の家で突然亡くなったためスキャンダルとなったそう。 詩は今読んでもかなり生々しく、この当時に女性が性的な詩を書くのはかなり挑戦的だったんだろうと思う。詩から立ち昇ってくるのは「強さ」や「怒り」のイメージ。同じく鹿児島の中村きい子のことも思い出した。
筆者は藤田の詩を〈「おんなせい」の問題、人間のエゴイズムを突いている〉とし、モダニズムの内面化にも成功していると高く評価している。
【林芙美子】
芙美子は生涯で約三百篇にものぼる詩を書いたという。『放浪記』の前年に詩集『蒼馬を見たり』を出版してる。 詩も彼女らしい言葉で難しさはなく、言いたいことは言ってやる清々しさとともにくすっと笑える客観性がある。やっぱりこの人はエンターテイナーだなと思う。
この時代になって林芙美子や平林たい子ら無産階級の女性文学者が台頭してきた背景に、義務教育制度の恩恵を受けた母親たちの存在があるのではないかと著者は指摘する。女が小学校で読み書きを教えてもらうだけでもこんなふうに世界が変わるんだなぁと感動する。
最後に引用されている「生肝取り」が本当に面白くて好きだ。
鶏の生肝に花火が散って夜が来た
東西!
東西!
そろそろ男との大詰めが近づいて来た
一刀両断にたちわった
男の腸に
メダカがピンピン泳いでいる。
くさい くさい夜だ
誰も居なければ泥棒にはいりますぞ!
私はビンボウ故
男も逃げて行きました
まっくらい頬かむりの夜だ。
【永瀬清子】
戦前、戦中、戦後、そして阪神淡路大震災の一ヶ月後になくなるまでずっと詩を手放さなかった稀有な女性詩人。昭和二年に結婚するとき、会社員の夫に生涯誌を書くことを確約させたそう。
専業主婦として四人の子供を産み育て、百姓仕事もしながら詩を書き続けた人。マルキシズムにもモダニズムにも属さず、同時代の宮沢賢治に影響を受けたというのも自然と生活に根ざしている感があって良い。
新井豊美は「これまでの女性誌にない自我の強さ、「私」という存在にこだわる自己主張がある」「女性の詩の近代と現代を結ぶ貴重な存在」だと位置づけているそう。
【茨木のり子】
戦後の女性詩人といえば、の代表格。
代表作「わたしが一番きれいだったとき」を改めて読み、
わたしが一番きれいだったとき
というフレーズとリフレインがそれに続く詩句に与える作用の大きさに気付く。悲惨だった現実を誤魔化すこともその悲惨さを強調することもなく、ただ焼け野原にポツンと立ちつくす若い女性の姿が見えて、誰も寄せ付けない。その取り返しのつかなさだけがひどく胸に迫る。
だから決めた できれば長生きすることに
という最終連のフレーズもちょっとおかしみはあるけど、やっぱり一人きりで立っている女の姿が見える。〈リフレインを上手に使いながら、明るいトーンで時代をモンタージュしていく〉ことが時代を越える普遍性を獲得している、という著者の指摘。その明るさが生む時代の暗さとのコントラストがより印象を強める。
ほっそりと蒼く
国を抱きしめて
眉をあげていた
菜ッパ服時代の小さいあたしを
根府川の海よ
忘れはしないだろう?
軍国少女だった時代を振り返る「根府川の海」も印象深い。
【新川和江】
「わたしを束ねないで」には現代にも響く普遍的な強さがある。生きづらさを自覚しやすくなった現代だからこそ女性だけじゃなく色んな人が共感できると思う。主義主張の詩が全盛の時代に、技巧を凝らすのでもなく、自身の感情をかき分けて生み出された言葉がとても好き。
最後に引用された反戦詩「遠く来て」はずっと忘れずにいたい。
一滴の水をもとめて
遥かなところからわたくしはやって来ました
ようやっと辿りついた大河には
多くの生命体がむらがり
両岸には大都市が繁栄していました
欲望に膨れた腹を剥き出しにした水死人が
浮きつ沈みつ流れてゆくのも目にしましたが
わたくしは尚 一滴の水にかわく者です
一片の火種を探して
永遠に続くかと思われる闇の中をわたくしは来ました
大きな火は要らなかった
豆粒ほどの燠がひとつあれば
闇の中 手探りの手が触れて結ばれたあのひとと
わたくしのための一椀ずつの粥を炊き
互いの目を見つめ合うこともできる明りを
育てることが わたくしにはできましたから
わたくしの踏むひと足ひと足を
土は鷹揚に受けとめてくれました
今 わたくしが立っているこの土がそうです
走ってゆく子供の足を無残に吹きとばす
悪魔の球根などではなく
柔らかな緑の芽をふく種子だけを蓄えている土
生ききってやがて地に崩折れるわたくし達を
そっくり抱きとってくれる あたたかな土です
【牟礼慶子】
戦後にできた詩誌「荒地」の中心的なメンバーである鮎川信夫に見出され女性として唯一参加していた。Wikiに載ってるだけでも31人のメンバーがいるのに女性はたった一人…しんどそう…。
引用されている「挑戦状」という詩は
私をそっとしておいてくれないか
という一句で始まる。女として妻としてカテゴライズして扱われることへのうんざり感。「挑戦状」というより「哀願」だと著者は指摘するが本気で憮然とした感じも受けるので哀願とまでは思わないかな~。同い年である新川和江の〈私を束ねないで〉のほうが清々しい感じを受けるのは確かだけども。
【白石かずこ】
女性ゆえの生きづらさの詩が続いた先に突然現れる白石かずこの詩、カラフルでポップでファンタジック!第一詩集に入ってる「卵のふる街」、勢いがあって楽しい。同じ卵を題材にした吉岡実の詩も引用されてるが、くっら!!!と思ってしまった笑 いやとても良い詩ですが…暗いな~笑
バンクーバー生まれの白石さん、モダニズムへの傾倒というよりミロやダリなどシュールレアリズムの絵が好きでそれを言葉にしたかったそう。当時ではまだ珍しかった朗読も積極的にやっていたそうで、言葉にリズムと色がある。
「男根」という詩がスキャンダルになったそうだけど、今読んでもめちゃめちゃ面白い。ロードサイドに寂しげに佇んでいる男根のイメージがハードボイルドで笑ってしまう。
手持ちの別のアンソロジー(高橋順子編著『現代日本女性詩人85』)に入っていた「現れるものたちをして」もすごく良かった。放尿する王妃の<ピーチ色の尻>の幻影に過ぎ去った君主制への苦々しい感情が交じる。面白い。
【吉原幸子】
「現代詩ラ・メール」立ち上げ人の一人。『現代詩ラ・メールがあった頃』(棚沢永子)を先に読んでたのでイメージとして華やかで激しい人だったのだなという印象があったのだけど、詩もやっぱり総じてカロリー高い感じですね。
裏切りをください
のインパクト。ところで彼女は1951年まだ戦後すぐのころに浪人してまで東大に入学したというのに驚く。東大に女子が初めて入学したのは1946年で女子はたった19人だったそう。4年後だってそんな多かったはずがない。若い時からすごい勇気とバイタリティの人だったんだなと思う。
【多田智満子】
教養に裏打ちされた想像力のあるモダニズム詩人。
引用されている「創世記捨遣・文字の創世記」、短い詩句から豊かで幻想的な世界が広がるのが本当にすばらしい。 また阪神大震災で被災した俳人・永田耕衣の句に触発されて書いた「残欠の翁」は終わりなき孤独に思いを馳せ、深く印象に残る。でも彼女はこの「残欠の翁」を自分の詩集には入れなかった、その「見識を思うべき」と著者は指摘する。普遍的な詩になり得てると思うけど、それでも現実の被災をモチーフにしたことへの自らの警戒心があるのかなと思う。現実との距離感は詩人それぞれだな…と考えるなど。
【富岡多恵子】
「あっさり詩を捨てて小説を書き出した」と紹介される富岡が詩を捨てた理由の本当のところはわからないし、結局は自分に合うツールを選んだだけと思うが、一方で詩作の意味を考えに考え抜いたゆえの結論なのだろうなとも思う。
引用かれている「はじまり・はじまり」が好きで、
なんでもええから反対せなあかん
この旗持って
なんにもわかれへん
なんにもあれへん
そやから私は出掛けてる
はじまり はじまり
学生運動を冷めた目で見ているようでありながら、それでもとりあえず旗持って外歩く。わかったふりをしない。わからない、という衝動だけでも旗持って歩く、というのが清々しい。
【新井豊美】
音大でオペラを学び、次に絵に行ってそれから詩を書き出したそうだけど、硬派であり続けたと筆者が指摘するように、引用されている詩は生真面目で硬質で少しとっつきにくい。
だけど別のアンソロジーに入っていた「夜のくだもの」という詩を読むとそれもけして明るい詩ではないのだけど、全体的に透明感があって柔らかい。印象が全然違っておどろいた。他にはどういうのを書いてるんだろうなと気になる。本書で紹介されていた『苦海浄土の世界』も読んでみたいな。
【石垣りん】
戦後ひとりで家族を経済的に支えてやっと一人暮らしできるようになったのは50歳の時だったそう。自分ひとりの部屋に「自分で表札を出す」ことがどれほどのことか、想像してしみじみとしてしまう。
銀行員であったこと、民衆詩を普及させた福田正夫の指導を受けたことが、石垣りんの詩がイデオロギーを超えた骨太い「庶民の戦後詩」となったと著者は指摘する。
ところで石垣が勤めていた銀行で組合の壁新聞のために頼まれて一時間で書いたという原爆についての詩がすごいのだけど、そもそも写真に添える詩を書いて、と同僚に気安く頼むのがすごいな!?と思ってしまった。なんというか、詩との距離感が今と違いすぎる。あなた絵が上手いんだってね、ちょっとここのアキにイラスト描いてくれる?みたいなノリ。今そんな気安く詩作頼めないよね…でも本来はこの距離だといいのになと思う。この当時に比べると今は詩が高尚なもの、特殊な趣味になってしまったのかなぁ…なんてことを思った。
【石牟礼道子】
いろいろ周辺の文章は読んでるんですけど本丸「苦海浄土」は未読であることを告白します。ここに引用された「ゆき女きき書」短い文章だけど圧倒される。〈徹底して自分の内面をくぐらせながら他者、外部を語る〉ことは心を擦り減らすことでもあるだろうなと思う。
石牟礼さんの詩も初めて読んだのだけど引用されてる「入魂」にただひたすら圧倒される。
黄金の光は凝縮され、空と海は、昇華された光の呼吸で結ばれる。
そのような呼吸のあわいから、夕闇のかげりが漂いはじめると、
それを合図のように、海は入魂しはじめる。
わたしは、遠い旅から帰りつくことが出来ないもののように、
海が天を、受容しつつある世界のほとりに、呆然と佇っている。
そしてみるみる日が昏れる。いつもの、光を失った海がそこにある。
海と天が結びあうその奥底に、
わたしの居場所があるのだけれども、いつそこに往って座れることだろうか。
そのほか『あやとりの記』や『おえん遊行』などのSFみを感じさせる作品も面白そう。表現の幅が広くそれでいて源はひとつなのだなと思った。
【森崎和江】
『からゆきさん』は読んだことあるけど詩は初めて。筑豊炭田の下層の女たちが語る「狐」、引用された一部だけでもそのくらさの深さに胸を掴まれる。
おれはなにもないくらやみを知った
知ってしまった
まっくらくらが
おれが行けばぱちぱち音たててかぶさる
おれはわかる おまえの狐が
それはあのくらやみになっとらん
漬物桶のへしゃげたようなもんじゃ
方言ってすごくリアリティを感じるんだなということも思った。わたしも九州北部出身の人間なのですごくノスタルジーを感じるけど、わたしの祖父母世代の方言のキツさだなと思う。それを聞いたことがある人もだんだん減っていくことを思うと、方言で書かれた文学は言葉のタイムカプセルだなぁと思う。森崎和江さんの自伝も読んでみたい。
【久坂葉子】
終戦から七年後、21歳で電車に飛び込み生涯を閉じた詩人。曽祖父は川崎造船所の創始者だそうで、戦前は華族のお姫様、戦後は没落の一途を辿った激動の人生。 詩は簡易な言葉でつづられ読みやすい。絶望をポンと突き放すような面白さがある。
同時代に自分と同じように自殺未遂を繰り返す太宰治への関心が高かったそう。 戦争は終わったのにふらりと死を選んでしまう時代の昏さはどんなものだったんだろう。
【石川逸子】
1933年生まれだがご存命で長く戦後日本を見つめてきた社会派の作家。
引用されている「狼・私たち」という詩は、傍観者の罪について考えさせられ、それが今パレスチナで起きていることが思い起こされてゾッとした。
狼が口を血だらけにして兎を食べている
(円陣を作って眺めている私たち)
狼は私たちを見つめ続ける なにげなく 次第に凄まじく
私たちは不安になる でもまた何故
(私たちは見物に来ただけだ ちょっと見物に来ただけ)
原爆や慰安婦への聞き取りの本なども読んでみたい。
【宇多喜代子】
1935年生まれの俳人。 わたしはあまり俳句に馴染みがないのだけど、引用されている石原吉郎氏の〈俳句は否応なしに一つの切口〉であり〈その切断の速さによって、一つの場面をあらゆる限定から解放する。すなわち想像の自由、物語への期待を与える〉という論に導かれる感じがした。
紹介されている宇多さんの俳句の中で、
眼帯の方の目でみる夏祭
がとても良いなぁと思った。言葉でしか紡げない景色の瞬間。 栄養学を専門とされてるそうで自然や食文化への寄り添いも切実で、エッセイなども読んでみたいと思った。
【山本道子】
60年の反安保闘争以降に次々と創刊された詩誌のひとつ「凶区」に参加していた。闘争の時代への反発としてイデオロギーからあえて離れたモダニズムの若い感性。 三年の沈黙ののちに小説家としてデビューし芥川賞も受賞している。詩の世界には戻らなかったそう。
詩作の時代は〈言葉に淫しているようなところがあった〉、散文(小説)に移ってからは〈透明に書きたい〉と思っていたけれど、それが〈水のように流れすぎて、文章そのものが虚ろになってきた〉という対談の引用が面白い。同じ言葉を使いながら詩と小説ってまるっきり違うよね。
【倉田比羽子】
こういうのを思想詩というのか、噛みごたえがあるなと思いながら『幻のRの接点』の抜粋を読む。219行もあるそう。 後半で紹介されている、黒田喜夫「狂児かえる」を引用した「(「私」に先立つもののために)」が面白い。他者の詩を取り込んで新たな世界を作ること。その自由さ。
【井坂洋子】
倉田さんのあとに読むと、わあ読みやすい!とうれしくなる笑
初期の「朝礼」、遅刻してくる同級生たちを見つめる代表作の最後の二行、
訳はきかない
遠くからやってきたのだ
がすごく好き。その遠さは実際の距離のようにも精神的な距離のようにも読めて結びの「訳はきかない」にさっぱりとした思いやりを感じる。
「生殖器」や「精液」というワードを使うことが当時は過激に受け止められたそうだけど、今読むとそこには何の含みもない。むしろただの名称として女性が呼ぶこと自体への驚きがあったのかなという気がする。
戦争は遠くなり学生運動も過ぎ去った80年代。そこに〈胃袋ではない形の新しい飢え、それこそが行き詰まるような社会への反抗、性を開放的に歌うことが飢餓体験になった〉と著者は見る。 引用されている詩がどれも面白くて、他の詩も読んでみたいなと思った。
【伊藤比呂美】
湿度のない井坂さんの後に読むとわあ過激!となります笑
〈女が性を露骨に言うのははしたないことだ〉という圧力のあった時代にこれは確かに衝撃的だっただろうと思う。抽象じゃなくわかりやすい言葉だったのも衝撃が広がりやすかったのかな。 どんな表現の形でもエロスはあるし→そもそも詩はそのベースにある「体感」を強く感じるものだし、詩ならではの性愛の表現の世界は奥深そう。 喋り言葉な文体、問答を仕掛けてくるのに答える隙を与えない独特な句読点の打ち方、という著者の指摘を読むと引用されてる詩もますます面白い。
【平田俊子】
ラッキョウの詩も夫を捨てる詩もすごく面白い!発想がユニーク。そしてユーモアだけで切り取れるのも詩の良さなのだなと気付かされる。でも笑いって難しいから誰にでもできることじゃない。すごいな、もっと読んでみたいなと思わされる。
後半では「傷」というエッセイについて触れられる。幼い頃に受けた火傷の傷跡を写真に撮ってもらったことを文章で曝け出す。その行為を筆者は〈ほんとうに傷があることをフィクションとして書いたと読める。〉と言う。自己暴露や私小説化ではなく、フィクションとしての発露。
【小池昌代】
ラ・メール時代に出てきた詩人。
第一詩集の冒頭「はじまり」の
ハイヒールのつま先をまるくして
ことしも春があたたまった
という詩句が若者らしく可愛くて好き。
また、前半だけ引用されている「永遠に来ないバス」より
待ち続けたものが来ることはふしぎだ
来ないものを待つことがわたしの仕事だから
乗車したあとにふと気がつくのだ
歩み寄らずに乗り遅れた女が
停留所で、まだ一人、待っているだろう
待っている女も乗車した女も乗り遅れた女もみんな「わたし」。視点が変わるのもすごく面白い。この詩の後半もぜひ読んでみたい。