僕だって猫の話をしていたい〜歌わせたい男たち
高校の卒業式当日の朝、今年も国歌斉唱時の不起立を表明している歴史教師、起立して国歌斉唱してほしい校長と若手の英語教師、よく事情を知らずあわあわしている元シャンソン歌手の音楽講師、なぜか全員が集まってきてしまう保健室の先生によるドタバタ悲喜劇。
初演は2005年。
日の丸・君が代をめぐる動きとしては、1999年国旗・国歌法成立、2003年都教育委員会が都内公立校向けに「10.23通達」(式典における国旗掲揚、国歌斉唱についての細かい指導通達)、2004年不起立だった都内公立校教職員248人を処分、2005年は64名が処分されている。
私は初見なんだけど、今見ても面白いのはもちろん、今2022年に再演することで当時を振り返る意味は大きいんじゃないかと思った。
君が代を歌う、たった40秒、どうして自分を曲げられないのかと校長は執拗に拝島(君が代斉唱を拒否する教師)に問い続ける。
だけど本当に問われるべきは、たった40秒、他者が自分の意思を表明することになぜあなたは反対するのか、ということだ。
そしてそれを問われるべきは目の前にいる校長のみならず、その背後にある強烈な同調圧力。それが「歌わせたい男たち」だ。
パンフレットの対談で永井愛さんが、この芝居をロンドンでやらないかと打診を受け企画書を送ったら「ロンドン市民には理解されない。」「もしロンドンでこんなことが起きたら、他の先生たちや保護者が黙ってない、デモになる。」と言われたそう。日本ではそれがなぜか処分する側とされる側の争いになってしまうと。
「個人」や「人権」よりも「誰か知らないえらい人が決めたこと」のほうが大事だと思ってしまう、思わされてしまう、この国の空気はどこから来るんだろう。やっぱり教育なんだろうか…とモヤモヤと終わった後もずっと考えている。
また初演時より今の日本は貧しくなり労働時間は増えて、政治的なことに自分の意思を貫き通す気力が削がれてしまってる気がする。
僕だってガチガチの左翼なんて言われたくない、本当は猫の話をしたいんだ、と項垂れながらも不起立を貫こうとする拝島のような教師はまだ存在するだろうか。
また拝島が仲(君が代の伴奏をする音楽教師)に対して、独身なら(自分の意見を押し通しても)いいじゃないですか、という台詞がある。実家には頼れない未婚の女が一人で生きていくことの大変さ、ましてや講師の立場。こんなことで職を失うわけにはいかないのだ、という仲の言葉の切実さは2022年の今聞く方が重いだろうと思った。
ちなみに重い題材ではあるけど劇中はゲラゲラ笑い通し。まさにワンシチュエーションコメディ。登場する5人の役者さんたちがみんなめちゃめちゃ上手いのでたくさん笑わせてくれた。またラストではキムラ緑子さんの歌声と立ち姿が本当に美しくてしみじみよかった。
劇中で「笑わせんな、泣きたいのに」という台詞があるのだけど、観客席のわたしも笑ったり泣いたりゾッとしたりまた笑ったりと感情大忙しだった。
観に行けてよかったです!